洋楽来日メモ



不安視されてたサマソニのもう1日目のヘッドライナーがフー・ファイターズで、もう本当にサマソニさんはちゃんと洋楽とロックのこと考えててくれたんだね!頑張ってくれたんだね!って割と本気で感動したことだとか
(参照)http://www.summersonic.com/2017/
でも、結局Phonexの出る日にしか私は行かないワー行く必要ないわー、だからはよ日程発表せよ、だとか
カサビアン大阪のサマソニ来てくれ、ダメなら平日で単独ライブして!と割と必死でお星様に願ってみたりだとか


シガー・ロスが唐突に単独来日決定して、でもなぜか真夏なので「?????」になってたり、でもチケット取れるならいくよこのやろう!だったり
(参照) https://www.creativeman.co.jp/2017/03/08/41561/

東京 2017年7月31日(月) 国際フォーラム ホール A
東京 2017年8月1日(火) 国際フォーラム ホール A
大阪 2017年8月3日(木) ZEPPなんば
大阪 2017年8月4日(金) ZEPPなんば

コーネリアスオザケンが再始動したと思ったら、なんと今年のフジに2組とも、しかも同日に出演決定とか、でもいかねえなあーフリッパーズのカバー二人でやるならいくかもな、とか割と冷めた気持ちだったり(でもコーネリアスのアルバムは絶対に購入必須なのではある、ただライブは以前見たものがそれほどよくなかったのでいいかなと思っている)
とか、色々ありますが。
実は、個人的に一番大きな事件は、あのプロレス界において、アメリカを統治し、そして世界中でプロレスといえば、になりつつある”WWE”に、日本人のレスラーが進出して、しかも結構人気あるっぽいってことが私の中でかなり大きな事件だったりしてます。
実はThe ROCK様(現在はドウェイン・ジョンソンの名でアクション俳優として映画で活躍してるらしい、アクション映画観ないので私は知らない)がWWEで正義キャラやっていた時代に、物凄くWWEを見ていて大好きだったので、あの世界で日本人のレスラーが!?マジでみたいなきもちになってたりするわけ。
当時、兄弟に「どうしてもこれ面白いから頼むからみて!」と勧められて観たら、最初はいわゆるアメプロ流儀というのか、レスラーどうしのメロドラマ風味なばかばかしいMCの掛け合いと、絶対それ痛くないだろ!とかぜったいそれわざと技にかけられているだろ!みたいな脚本ありきのショーなプロレス、というものに、え!?って気持ちになってたんだけども。
ちなみに、その当時は日本は総合格闘技が隆盛で、私も結構観ていて。プロレスもリアル感のあるものがいいとされていた時代だったのでね。今思い返すと多分、嘘でもほんとっぽく見せるのが正しいんだとなんとなく思い込んで痛んだと思う。
でもアメリカの観客はロックバンドやヘビメタバンドのお約束に反応するように、レスラーの一挙一動に歓声上げたり、一緒にお馴染みの雄たけび上げたりしていて、楽しそうなの。そしてライブ好きの私はその会場の雰囲気に心が惹かれてしまって、何度も見ていく内に、その盛り上がりや、レスラーの迫真の演技、そして派手な登場シーンの演出につられるようになんとなく見ていったら物凄くロック様に入れ込んでしまって。
悪役に良いようにやられ、仲間だったはずのレスラーまで悪役に取り込まれてしまい、窮地に陥いり敗者にまで陥った彼、でも最後の最後に悪役に正義と怒りのピープルズエルボーを食らすのだった・・・・・・みたいなストーリーだったかな、私がちょうど見始めたときは。
どこの「ランボー 怒りのアフガン」だよ!
でも、すごく面白かったの、ひとつひとつの試合が終わった後に挟まれる、ロックのアクションやインタビュアーにたいする話も、英語解らない人でも笑っちゃうような解り易いリアクションで、英語だったし。
なにより、こういう、フィクションだと解ってても視聴者の心を掴んでしまう、演出の力、演じる人の華やかさ、の差を感じてたりしてた。日本とのね。WWEを真似した形で発足したハッスルがどうしようもなくショボかっただけによけいに。
そんな感じで日米プロレスを捉えたまま、WWEとご無沙汰になりつつも、ある日ふと2010年代も終わりになったところで、ある日ふと見かけたニュースで、ですよ。
なんと日本で頑張ってたレスラーが、しかも総合格闘技隆盛の時代に頑張ってたレスラーが、殴りこみを欠けて、しかも、それがyoutubeで300万以上の視聴回数になるほどの話題になってると。
(参照)

彼は、まずWWEの二軍的扱いのところからスタートして、チャンピオンになり、その勢いのまま一軍に這い上がったってところで、この日はとりあえずは一軍のイベントで顔見世として登場、だけだったのだけど、この盛り上がり。そして映像がこの再生回数。ちなみにイベント帰りの観客の大多数が入場曲を合唱しながらの状況を撮影した動画も結構な任期だったりとかする話も。


個人的には、香川がマンUとか、ナベケンがハリウッドゴジラに出演とか、そのレベルの「すごい!!!!!!!!!」なんだけど、どうもメディアの反応が薄くてなあ。

James Blake @ なんばハッチ part2



誰も見ていないときにひっそりと。
ちなみに、この日のセトリがあがっていたのでリンク
(参照) http://www.setlist.fm/setlist/james-blake/2017/namba-hatch-osaka-japan-13f9959d.html
そしてこの日の翌日に開催された東京でのライブのセットリスト
(参照) http://www.setlist.fm/setlist/james-blake/2017/tokyo-kokusai-forum-tokyo-japan-3f995af.html
この二つを比較して見ると、大阪は3rd以前の、ダンステイストの楽曲が多い目のセトリ。このセトリではアンコールがなし、となっているけれど、実際には「Retrograde」で一旦ステージ上の三人は捌けいてた。
アンコールを求めての拍手と歓声の時間が数分続いたあとに、再びステージに登場して「The Wilhelm Scream」を長い目のMCと、この曲はお父さんの曲をカバーしたものだという説明を加えて披露していたので、あれがこの日のライブではアンコールという形になっていたのだと、私は捉えてる。
大阪での来日公演は前座もついていたこともあって、本人は遅く登場し、ライブ自体の終わりも午後10時前という(9時半過ぎ?)、ライブとしては遅い時間帯だったので、短くても、そして遅い時間でも楽しめるセトリに仕上げてきたのかな、なんて思わなくもない。
そして、会場の空気も、1st、2ndのジェイムス・ブレイクを望む空気があったのも、正直に言うと事実なので、・・・・・・もしかしたら、それにその場の即興で応えていたのかな?
一ヶ月も経ってしまった中で、うろ覚えでいくつか羅列していくと、それでも、ライブの後半に披露された、「I Need a Forest Fire」、音源ではbon iverがボーカルとして参加しているキャッチーなこの曲では、イントロが鳴り出すとそこそこに歓声を上げる人も見られた。ライブで披露されたものは、一人で全てを歌としてリズムにし、綴るという部分が、どことなく拙くて、でも、それが孤独な青年の、「森」それも多分寒冷地帯に生殖するような針葉樹林の、あの冷え冷えとした緑をいろとして浮かべてしまうそれ、に取り囲まれたように自分を追い詰める心理状況、を綴る気持ちにリンクするような表現で、とてもナイーブで、とても好き。
これに限らず、3rdの曲は、彼の持つナイーブさが、陰の形で表現されていて、それと対照的な2ndの「retrograde」なんかとの対比が、ライブでわかりやすく溶け合わずに存在してるのが、面白かった。
これがジェイムス・ブレイクの人そのものなんだって。

james blake @ なんばハッチ part1



前座が19時30分頃におわり、セットの転換として30分の休憩。
前座が始まった頃は6、7割のライブハウスの混雑状況のように見えたんだけども、19時半ばにはかなり埋まってたような気もした。ライブハウスの真ん中ほどにいたからそう感じたのかも?
男女比は6:4くらいだっただろうか。そこそこにフジロックの話が湧き上がっている、もしくはトラヴィスだとかジェフ・ミルズの公演についてだとか、直近の来日公演の感想の言葉がざわざわした会場内にあふれている。
ファッションも、ぞうりとか長髪とか自由さを漂わせる人がチラホラと目に付く。そういう男女が20代半ばから30代までを核にしつつ上は40、50までも、みたいな。フジロックを頂点とした洋楽ロック・ダンス好きサークル、なんていったらあまりに暴力的なくくりだろうか、でもまぁそういう客層。
そして19時59分(ここが彼の生真面目さを表しているようで、実はすこし面白かった)、にふっと会場全体の照明がおちて、暗闇で歓声と拍手が沸きあがる中、静かにバンドメンバーとジェイムス・ブレイクが楽器の前に座ると、コニチワ、なんていつもの静かな調子でひとこと声を発すると(あ、記憶がうろ覚えなのだけど、これはもしかしたら一曲目が終わった後のシーンだったかもしれない!)、一曲目は3rdからの「Always」。
曲冒頭部のリフレインされる高音の声はプログラミングされたもの、それに絡み合わせるように、機械的なような無感情さとゴスペルのような浄化みたいな、あの不思議な彼のボーカルが紡がれていく。
ステージの真ん中にドラム、左端にキーボード?コンピューター?その他楽器など、とバックのメンバーは二人。ジェイムス・ブレイクはステージの右よりにあるキーボードやコンピューターやなにやら色々構えた一角に。
今回のライブは三人でのもの。以前の来日公演も三人でだったような気がする。
2曲目が2ndの「life round here」。繋げて3rd「choose me」。
この対比が凄かった。やはり、2nd曲の音の華やかさ、ビートの強さ、そして物憂げな曲調、このバランスの鮮烈さは失せることなく。むしろ3rdの削いだ音作りの曲群の中にポンと放り込まれるからこそ余計にその色調の鮮やかさだとか輝きが増す。
また、音の渦に巻き込まれるような形で歌われる彼のボーカルの曲の中での聞かせ方はやはり、本当に美しい。
3rdの曲は音源でもそうだけど、ライブでもがっつりとボーカルそのものを音の中でも自立させた感じ。だからそこは、どうしてもナマの粗というか、ラフさが感じられて、そういう意味ではずっとジェイムス・ブレイクの個人そのもの、そして肉体としてつくりあげようとしている「うた」に触れた気にさせる。
ただそこが、パーソナルな部分を知れたリスナーの喜び、に直接繋がったというわけにもいかなかったかな、とも思う。これはこの時点の私の感想ではなくて1時間半ずっと聞いていってのこと。
コーラスの人を入れたりして、しっかりと肉体性を表現し、肉体からあふれる音楽の美しさ、という形でライブで見せてくれたら、音楽の快楽に繋がったのかもしれない。今回はあえて全部プログラミングの機械音とブレイク自身のナマの歌とそれをまた加工しての、その三つの軸が捩れあいながらの表現であったので、本当に個人の、一人の人の表現というか。
音の耽溺とか快楽とか、豊潤とか、そいういう風に受け取ってもらうものとしての表現をあえて選ばなかったのが、彼の3rdの楽曲を作ったうえでの正解なんだろうと思って、納得したり、そして興味深かったり私はした。
だから、従来のエレクトリック音楽の方式でもって楽曲の中の歌として、埋もれそうな形で表現されるものの方が、鮮やかで音楽に耽溺する喜びが満ち溢れてる。それをこの楽曲では選んでいたのだって。
それが面白い。面白いって言い方は変かな。
ワンクッション置いて「Timeless」。これもボーカルとプログラミングの声との絡み合いを重点に置きつつ、より低音を聞かせたドラマチックなアレンジに。
その後にFeistのカバーで1st収録の「Limit Your Love」だったかな、流れは。
そういえば、この日のライブでは披露しなかったけれども、EPに収録されているジョニ・ミッチェルの「A case of you」も、結構彼のライブでは定番になっているよね。内省的な青年という風貌と、あの無感情と浄化が一体となったボーカルスタイルが、正反対の、女性歌手、それも恋愛を独自の目線でドラマとして描けるアーティストが「情」や「哀」の部分を描いた歌をカバーするとハマる。これ面白い。
またへんな言い方したけど。
ただ、カバーを多用するのはジェイムス本人が自分の中で歌詞の部分が弱いとかそういう気持ちがあるのかな?とかちょっと思ったのだけど、私は英語に詳しくないので、彼の歌詞の評価の部分は解らないから保留。
曲の間、たまに彼は訥々とした言葉を挟むのだけど、6ヶ月前に日本に来て、また6ヵ月後に君たちと逢うよ、と、何度も何度も6マンスという言葉を繰り返していたので、もしかしたらフジがまた決まってるのかもしれない。
サマソニは・・・・・いいんじゃないかな、やらなくて。今の彼の曲をサマソニできいても何も楽しくないと思う。
フジロックの深夜のホワイトで聞けば何かまた大きなものをリスナーに与えることが出来るような気もする。
眠かった!ていうか寝た!って人も続出しそうだけど。

James Blake @ なんばハッチ メモ



個人的にはとても、とっても興味深いライブでした。
1st、2ndにおけるjames blakeの世間での盛り上がりと比較して、3rdが少し落ち込んだ理由について納得行くところもありつつ。
また、3rdでゲストボーカルを入れたうえで完成したのでは、と思うような美しさを、それでもライブでシンプルな構図でも追求しようという、ジェイムス・ブレイクの青臭さも感じられて。
なんだろう、なんていったらいいのかな、ボーカルを加工しまくった、会場を塗りつぶすようなエレクトリックな音が爆音で鳴らされるダンス的なテイストのほうが、娯楽性に富んでいて、解りやすくて、キラキラしていて、美しくて。
一方で、ウタに完全に焦点が置かれた、削いだ音作りの、一見ポピュラーソングのような形態をしている曲がものすごくハードコアな印象を与えるっていう、それが1時間半の中でぞろっと体感できてしまう。客の反応も含めて。
そういう変な感じ。
私は90年代からロックを聴いているから変な感じってなるのかも。2010年からロックとダンスミュージックを聴きはじめた若い人は、それが当たり前に感じるのかもしれないけれど。
でもやっぱり・・・・・奇妙だと思ってしまう。
そう、そんな奇妙なところにライブで挑戦しているのが感じ取れるところが、興味深いと私は思ってしまったし、そしてその行為そのもに、彼はまだまだ若いのだと、あふれるばかりの才能をもっと、もっと、表現していきたい、その留まるラインなんかまだわからないんだ、という部分が見れたのが、私は、それこそ3rdの個人的な色合いのアルバムで好きだった部分なのかもと思ったりした。
セトリは、昨年ツアーでやった曲とは少し変更があったと思う。
フジロック(観てないけれどもセトリを比較して)とも少し変更アリ。

7時前についたら6〜7割くらいの会場の入りで、あれ?と思っていたら、日本人の前座つきだった。
そうだなあ、洋楽のこういう音楽を好んで聴く人が、日本のそういうジャンルのフォーマットに乗せてみたら、というもので、確かにこの場にいた観客が波長を合わせやすい種類のモノだと思う。でも、それ以上でもそれ以下でもないって感じではあって。ただし、それは多分まだ新人さんだから、何が自分でというのをもがいている最中だから、なのだとも思う。
そしてそんな状態でもナチュラルに(?)歌詞に日本語を選択しているあたりが、これもまた時代だなあと思った。

 明日のjames blake楽しみです



本人としてはあまりにパーソナルな作品になりすぎて、あまり聞き返してはいないという、昨年リリースされた「color of anything」。
私は実はとても大好きで2016年本当にずっと聴いていたので。
デビュー当時からずっと、電子音楽のなんとかとかずっといわれて激賞されて、でも彼の本質はシンガーソングライター的な、私小説的なそういうものなのでは、と最初からずっと思っていたというのがあるのが一番。その自分の中での決着がこのアルバムで聞くことができたからなのだろうと。ただし、そこは、彼自身がそれを否定しているのだから、また聞きなおしが必要なのかなあとは、思いつつも。
もう一つは、電子音楽の王子としてアルバム全体を通して塗りつぶして気鋭のうんたらかんたらな作品を作らない、個人的な作品である、というのは確かにそうなのだけども、一方で・・・・・、frank oceanと組んでmy willing heartではブラックミュージックのボーカルというものの美しさを、ダウナーな白人の内省的ポップスに落とし込むっていうことをしてみせたり、bon iverと組んでの「forest fire」では、ジャスティン・バーノンが現状で示している立ち居地である”アメリカの中流階級の知識人が北の寒い山奥に自分自身を探しに行く”的なものを歌詞に引き出したりしつつ、そこのフォーマットはヒップホップ、だとか。(私だけかもしれないけど、bon iverとヒップホップで、カニエ・ウェストのbon iverとのコラボ「i lost in the world」を思い出すので。あれは、その白人の知識人が山奥に現実から逃避するのと、黒人のラッパーである自分自身が都会の夜中に逃げるしかないっていう対比を言葉から連想される色で見せてて印象的だった)
つまり、現状のjames blakeと近しいような人々の作り上げたものから連想される何かを、曲の面白さに落とし込んでることとか。
ああ、それも確かに個人的な部分といえばそうなのかも。
最後に、1stからそれは見せていたのだけど、ジョニ・ミッチェルのカバー「a case of you」でみせていた、リズムを”あえて”無視したボーカルで歌い綴るアレ、私は音楽について知識が薄いので、どう表現していいのか解らないのだけれど、リズムから発生して行ったポピュラーミュージックを愛するがゆえに、行き着いたのだろう、james blakeのボーカルスタイルが、見つけ出したあのスタンスが、「color in anything」みたいなオリジナルの曲で、しっかりと形となっているのもすごく面白いと思う。

Alabama Shakes  @ 堂島リバーフォーラム メモ



ちょっと解りにくいところにあった堂島リバーフォーラム
大量のコインロッカーが設置されてないようで、代わりに、ゴミ袋を配りそれに荷物をつめてスタッフに渡すと番号を割り振り、それをつみあげるというあのサマソニやフジでもお馴染みクロークってやり方になっていたのと、ライブハウスにしてはほとんど床に傾斜が階段がなくフラットで、かなり見づらい、という点は、ちょっと・・・・・。
福島って場所自体は落ち着いた雰囲気があって、このバンドに合ってるとは思うんだけど、・・・・・。
ただ、この日の公演は開演時間が8時と遅かったので、かなり会社員が大きく割合を占めていて。白髪交じりな熟年層も沢山。
若い人ももちろんいるんだけども、なんというか20代〜60代まで満遍なくいるとでもいう、客層。そして男女比率は大体半々。白人、黒人、フジロック行ってそうな意識高そうなオシャレさんから、音楽ヲタクっぽい独りもの、サラリーマン、学生っぽい若者とその親との二人組みそのほか、その他。
一つのバンドの下にこれだけ色んな層の人が集まるってちょっと不思議で、でも彼女たちの作る音楽の魅力を表してるんだろうなって納得もしたり。


開演時間から10分ほど遅れて、客席側の照明が落ちると同時にSEの音が大きくなり、暗い中メンバーが一人ひとりステージに登場。そして音合わせをし、開始。
ざっくりとライブの流れをいうと、基本的にはブリタニーの常に全力で力で押してくるボーカルが主役なんだけども、それでも、前半はバンドサウンドで組み立てられ、ノリのよい曲中心に、きっちりリズムや音に合わせた中でボーカルが表現するもの。
中盤に数曲、ブリタニーがギターをスタッフに渡して、ハンドマイクになり、シンプルなざっくりと削がれた演奏を背景に、まるで一人芝居とでもいうかのように、シンガーとしての力を全開にして、自分自身の時間軸で歌うもの。
それをはさんでの後半は、前半とはうって変わって、横揺れのゆったり溜めたリズムの中で、低音を強めて、そしてギターのラフな音使いの中で、ブリタニーがそれらとぶつかりあいながらこれまた迫力でもったりとゆったりと溜めながら重く歌うもの。
一旦はけると、アンコールでは、うって変わって、客席と声でのコールアンドレスポンスというか・・・・歌い上げること自体を、まるでギターのソロで曲芸弾いて見せるとか、プロレスラーが決め技みせるとか、そんな感じで披露してみせ、それを観客が歓声や拍手をあげながら受け取って、という、エンタメにおいてのある種のお約束の楽しみ方としてあって。
私は基本的にロックバンドのバンドサウンド然としたライブしか見ないものだから、こういうライブとしてのエンタメの作り上げ方が新鮮だし面白かった。
単純に歌の上手い人、が、一つ一つ熱をこめて歌い上げましたっていうよりは、少し捻ったスタンスでライブに対してアプローチしてるんじゃないかな?とか思ったりも。

サマソニ大阪来年も開催!



場所は未定だそうだけど、なんにしても開催すると明言してくれたのは、やっぱりちょっと嬉しかった。
(参照) http://www.summersonic.com/2017/
今年の運営の酷さで、実は本気で大阪サマソニの開催を諦めかけてたし、またこんな形でしか運営できないのなら、もう無理に延命してもなあって気持ちもあったんだけど、でも決定の報告を見ると、やっぱりやってくれるだけでも嬉しくなってくるのは事実だ。地方に住む私でも、マイナーor新人のロックバンドやロックスターを近隣で見れるってことはありがたい。
舞洲は新しい施設が出来上がってきて、フェスとしてのコンパクトな運営が難しくなってる以上、移転を余儀なくされるのだろうし、そうなるとこれまでよりもっと小規模な形になるのかもしれないけれど。
それでも、ま、ね。続けないと好きな人も増えないしってことで一念発起してくれるわけだから、楽しみにしておこう。



個人的に週刊文春の頑張りに始まる、日本の、イエロージャーナリズムのイエロージャーナリズムとしてのプライドというか、なんというか、昨今の変な意気込みみたいなものが面白くて仕方がない私がいる。
UKロック大好きだった(今でも好きだけど)頃に、イギリス文化をオシャレ的に興味を持っていた頃に、The Sunがクソどーでもいい芸能・王室ゴシップやすっぱ抜きに必死だったりクッソ下世話な記事で煽りまくってたりするのを、イギリスってよーわからんってな位に見てたけども、もしかしてこれって、それと似たようになって来ているってことなのかなあとふと思い至り。
社会の閉塞感が過激なゴシップを求める、社会の閉塞感が、一発あてた有名人が堕ちていくまでをあざ笑うことを娯楽として消費させる、か。
でもそういう娯楽がないとやっていけない現状で、そこで一瞬の息抜きを提供することは果たして悪いことなのか。
The SUN記者と文春記者でイエロージャーナリズムについて語り合う場を誰かつくってくれ!


レコ大騒動無視して、記事として記者の雑感程度とはいえ、アメリカのグラミー賞の黒人アーティストの主要部門からの締め出しに物申す的なことかいたり、ステヤンは突き放しといて、クラシックロックアワードは最初にあげあげした挙句、詐欺紛いだと揉めだしたらスルーしているような音楽メディアが日本のロック業界の主要って時点で、面白みの点ではイエロージャーナリズムより数段落ちるしね・・・・・。
洋楽産業が日本で力をもてなくなるのもしょうがないことか、なんてことも思ったり。